日本の教育思想家・保育の先駆者は、教育原理だけの範囲ではありません。社会的養護・保育原理・子ども家庭福祉と重なる人物が多く、覚えた分がそのまま複数科目で効きます。ニコイチで苦しんでいる人にとって、ここは投資効率が最も高い分野のひとつです。
この記事では、保育士試験に実際に出ている日本人を「教育原理で出る人」「ニコイチ両方で出る人」に分けて整理します。西洋の思想家は西洋の教育思想家まとめを参照してください。
ここが出る
令和8年前期の教育原理では問4で日本の児童文学者と業績の対応(鈴木三重吉『赤い鳥』・巖谷小波・坪内逍遥・小川未明)が、令和7年後期(地域限定)では問5で日本の教育実践家と業績の組み合わせが出ています。日本人は「施設名・雑誌名・学校名」から人物を当てさせる形が定番です。(出典: 全国保育士養成協議会「過去の試験問題」)
まず外せない4人|倉橋惣三・城戸幡太郎・関信三・松野クララ
日本の保育史でいちばん出るのは倉橋惣三です。次いで、その対比として城戸幡太郎。そして日本の幼稚園の出発点として関信三と松野クララ。この4人は毎回どこかで顔を出します。
| 人物 | 生没年 | 肩書き・場 | 主著・キーワード | 一言でいうと |
|---|---|---|---|---|
| 倉橋惣三 | 1882〜1955 | 東京女子高等師範学校教授、同附属幼稚園主事(1917年〜、以後三期) | 『幼稚園雑草』(1926年)『幼稚園保育法真諦』(1934年、のち『幼稚園真諦』)『育ての心』(1936年)『子供讃歌』(1954年)/誘導保育、児童中心主義 | 「日本のフレーベル」。子ども自身が育つ力を信じ、生活そのものを保育にした |
| 城戸幡太郎 | 1893〜1985 | 心理学者。保育問題研究会を組織し、機関誌『保育問題研究』を1936年に創刊 | 社会中心主義、社会協力の訓練 | 倉橋の児童中心主義に対し、社会の一員として育てる立場をとった |
| 関信三 | 1843〜1880 | 東京女子師範学校附属幼稚園(1876年開設)の初代監事 | 『幼稚園法二十遊嬉』(1879年)=フレーベルの第1〜第20恩物の紹介 | 日本初の幼稚園の初代園長にあたる人 |
| 松野クララ | 1853〜(没年は諸説あり) | 同幼稚園の首席保姆(1876年11月〜1880年) | フレーベルの恩物・遊戯を日本に直接伝えた | ドイツ人。日本にフレーベル主義保育を持ち込んだ本人 |
松野クララのもとで保姆をつとめたのが豊田芙雄・近藤濱です。「日本初の保姆」として問われることがあります。
倉橋惣三 と 城戸幡太郎 は必ずセットで
| 倉橋惣三 | 城戸幡太郎 | |
|---|---|---|
| 立場 | 児童中心主義 | 社会中心主義 |
| 出発点 | 子どもの自発的な生活 | 社会の一員としての人間形成 |
| 方法 | 誘導保育(子どもの生活を、保育者がそっと方向づける) | 社会協力の訓練 |
| 有名な言い回し | 「生活を、生活で、生活へ」 | 「社会協力の訓練」を重視 |
| 組織 | ― | 保育問題研究会(機関誌『保育問題研究』1936年創刊) |
| 主著 | 『幼稚園真諦』『育ての心』『幼稚園雑草』 | ―(論文・雑誌が中心) |
「子ども中心=倉橋/社会中心=城戸」。この一行が言えれば、2人の入れ替え問題は落としません。倉橋はフレーベルを尊敬しつつ、恩物を形式的に使う当時の保育を批判した点もよく出ます。
保育の先駆者|託児所・幼稚園をつくった人たち
| 人物 | 施設・活動 | 年 | ポイント |
|---|---|---|---|
| 赤沢鍾美・ナカ(仲子) | 新潟静修学校に併設した託児施設 | 1890年(学校の開設年) | 生徒の弟妹を別室で預かったのが始まり。現存する保育所として最も古いものの一つとされる |
| 野口幽香・森島峰(美根) | 二葉幼稚園(東京市麹町区) | 1900年 | 貧困家庭の子どものための幼稚園。1916年に二葉保育園へ改称 |
| 徳永恕 | 二葉保育園 | ― | 野口幽香を継ぎ、母子寮など事業を広げた |
| 橋詰良一 | 家なき幼稚園(大阪府池田市室町) | 1922年 | 園舎を持たず、屋外で自然の中で保育する試み |
引っかけポイント
「日本初」の言い切りに注意。赤沢鍾美の託児施設は「日本最初の託児所」と紹介されることが多いのですが、それ以前にも各地に類似の取り組みがあったことが指摘されています。試験では「現存する保育所のうち最も古いもののひとつ」という趣旨で問われるのが通常です。一方、幼稚園として日本初なのは1876年の東京女子師範学校附属幼稚園で、こちらは動きません。
もうひとつ。二葉幼稚園の「二葉」は「双葉」ではありません。表記を変えた選択肢が混ざることがあります。
りわさんメモ
(ここに、りわさん自身が受験したときの実感・失敗・工夫を1〜3文で書き足してください。例:この範囲は1回目に落とした。◯◯の順で覚え直したら本番で取れた。)
大正自由教育運動の実践家たち
大正期に、画一的な一斉授業に対して各地で新しい学校・教育法が生まれました。「人物 × 学校 × 著書・キーワード」の3点で問われます。
| 人物 | 生没年 | 学校・場 | 著書・キーワード |
|---|---|---|---|
| 澤柳政太郎 | 1865〜1927 | 成城小学校(1917年創設) | 『実際的教育学』(1909年)/文部官僚出身。教育学の実験学校として成城小学校を設立 |
| 及川平治 | 1875〜1939 | 兵庫県明石女子師範学校附属小学校 主事(1907年〜) | 『分団式動的教育法』(1912年)/分団式動的教育法。子どもの能力差に応じてグループを分ける |
| 木下竹次 | 1872〜1946 | 奈良女子高等師範学校附属小学校 主事(1919年〜) | 『学習原論』(1923年)/合科学習、学習法 |
| 小原國芳 | 1887〜1977 | 玉川学園(1929年創立)。それ以前に成城小学校の主事 | 全人教育(1921年の八大教育主張講演会で提唱)/『全人教育論』 |
| 羽仁もと子 | 1873〜1957 | 自由学園(1921年創立) | 『婦人之友』(1908年改称、前身は『家庭之友』)/日本初の女性新聞記者 |
| 鈴木三重吉 | 1882〜1936 | ― | 児童雑誌『赤い鳥』(1918年創刊)/児童文学・童謡の運動 |
覚え方の軸は「学校名から引く」です。成城小学校=澤柳政太郎、玉川学園=小原國芳、自由学園=羽仁もと子、明石=及川平治、奈良=木下竹次。小原國芳は成城小学校にも関わっているので、「玉川学園の創立者」で確定させてください。
ニコイチ両方で出る人物|社会的養護と重なる4人
ここが本題です。次の人たちは教育原理でも社会的養護でも出ます。子ども家庭福祉でも顔を出します。1回覚えれば3科目で使えるので、優先順位を上げてください。
| 人物 | 生没年 | 施設・事業 | 年 | キーワード | 出る科目 |
|---|---|---|---|---|---|
| 石井十次 | 1865〜1914 | 岡山孤児院(孤児教育会として岡山市の三友寺で創設) | 1887年 | 「児童福祉の父」。のちに宮崎県茶臼原へ移転 | 社会的養護・子ども家庭福祉・教育原理 |
| 石井亮一 | 1867〜1937 | 孤女学院 → 滝乃川学園 | 1891年 | 日本の知的障害児教育・福祉の先駆者 | 社会的養護・子ども家庭福祉・教育原理 |
| 留岡幸助 | 1864〜1934 | 家庭学校(東京・巣鴨)/北海道・社名淵に分校と農場 | 1899年/1914年 | 感化教育。「家庭にして学校、学校にして家庭」。児童自立支援施設の源流 | 社会的養護・子ども家庭福祉 |
| 糸賀一雄 | 1914〜1968 | 近江学園/びわこ学園 | 1946年/1963年 | 「この子らを世の光に」。重症心身障害児の療育 | 社会的養護・子ども家庭福祉 |
ここが出る
ニコイチは同時合格が条件です。教育原理と社会的養護は各10問・各50点満点で、両方とも6割(各30点)以上でなければ、片方だけ合格になりません。だからこそ、両方の科目に効く人物から手をつけるのが合理的です。上の4人と、下の福祉系人物は、社会的養護の学習と同時に進めてください。
くわしくはニコイチ突破ガイドへ。
| 人物 | 施設・事業 | 年 | ポイント |
|---|---|---|---|
| 高瀬真卿 | 私立予備感化院(のち東京感化院) | 1885年 | 非行少年の保護・教育。留岡幸助より前 |
| 高木憲次 | 光明学校/整肢療護園 | 1932年/1942年 | 「肢体不自由児療育事業の父」。「療育」という語の提唱者 |
江戸期・明治初期から出る人
| 人物 | キーワード |
|---|---|
| 貝原益軒 | 『和俗童子訓』『養生訓』。日本で最初期の体系的な子育て・教育書 |
| 福沢諭吉 | 慶應義塾。『学問のすゝめ』『西洋事情』。実学の重視 |
| 森有礼 | 初代文部大臣。学校令(1886年) |
| 吉田松陰 | 松下村塾 |
| 緒方洪庵 | 適塾(蘭学) |
この層は出題頻度がやや落ちるので、上の表を眺めて名前と一言が結びつけば十分です。ここに時間を使いすぎないこと。足利学校(令和7年後期・問4)のように学校史から出ることもありますが、深追いは非効率です。
固有名詞から人物を引く逆引き表
| 固有名詞 | 人物 |
|---|---|
| 誘導保育/『育ての心』/『幼稚園真諦』 | 倉橋惣三 |
| 社会中心主義/保育問題研究会 | 城戸幡太郎 |
| 東京女子師範学校附属幼稚園 初代監事 | 関信三 |
| 首席保姆/恩物を日本に伝えた | 松野クララ |
| 新潟静修学校の託児施設 | 赤沢鍾美・ナカ |
| 二葉幼稚園 | 野口幽香・森島峰 |
| 家なき幼稚園 | 橋詰良一 |
| 成城小学校/『実際的教育学』 | 澤柳政太郎 |
| 『分団式動的教育法』/明石女子師範附属小 | 及川平治 |
| 『学習原論』/合科学習/奈良女高師附属小 | 木下竹次 |
| 玉川学園/全人教育 | 小原國芳 |
| 自由学園/『婦人之友』 | 羽仁もと子 |
| 『赤い鳥』 | 鈴木三重吉 |
| 岡山孤児院 | 石井十次 |
| 滝乃川学園/孤女学院 | 石井亮一 |
| 家庭学校/感化教育 | 留岡幸助 |
| 近江学園/「この子らを世の光に」 | 糸賀一雄 |
| 整肢療護園/療育 | 高木憲次 |
よくある質問
倉橋惣三の著書名は『幼稚園真諦』と『幼稚園保育法真諦』のどちらが正しいですか?
どちらも正しく、同じ本です。1934年に『幼稚園保育法真諦』として出版され、1953年に『幼稚園真諦』として新版が復刊されました。試験ではどちらの表記でも倉橋惣三の著書として扱われます。
教育原理と社会的養護で同じ人物が出るのはなぜですか?
明治から大正にかけての日本では、孤児・貧困児の救済と教育が同じ場所で行われていたためです。石井十次の岡山孤児院や留岡幸助の家庭学校は、福祉施設であると同時に教育の場でもありました。制度上あとから福祉と教育に分かれたので、人物としては両方の科目に登場します。
日本人の人物は何人くらい覚えれば足りますか?
この記事で扱っている約25人です。ただし全員を同じ深さで覚える必要はありません。倉橋惣三・城戸幡太郎・関信三・松野クララ・野口幽香・赤沢鍾美・澤柳政太郎・小原國芳と、ニコイチ両方で出る石井十次・石井亮一・留岡幸助・糸賀一雄の12人を確実にしたうえで、残りは名前とキーワードが一致すれば十分です。
